|
百済は西暦660年、唐と新羅の連合軍により敗れた百済国の王族や武官のおびただしい人々が妻女等を引き連れ日本に亡命した。
我が村に伝わる伝説によれば、一行は今の広島県厳島に上陸、大和方面に定住したとも聞く
その後、船二隻で安住の地を求め九州を目指したものの、はげしいしけに襲われ、日向の国の金ヶ浜と 蛇口浦に別れ別れに漂着した。
金ヶ浜につかれた方は、禎嘉王、華智王、乳母、お側女官、舎人など十数人。蛇口浦についた方は福智王と
その妃ら一行でした。
金ヶ浜に着かれた父禎嘉王は宮居の地をうらなったところ、ここより七十八里(百済の里)山中の神門が良いと出たので
そこに居をさだめることとなった。ここが定住の地、南郷村 神門である。
蛇口浦に着かれた福智王は球をなげて宮居の場をうらなった球は十八里(三里)の木城の比木の地までとび、
そこにとまったので、比木に宮居をさだめ、別れ定住された。
その後、木城町比木の福智王が南郷村神門の禎嘉王に会いに来るというのが師走祭りのおおまかな原形である。
|